私たちが何かを作ったり、学んだり、行動したり、何かを目指して努力したりするとき、そこには必ず「何らかの善いもの」が目的としてあると考えられる。
だから、「善とは、あらゆるものが目指すものである」と言われてきたのは、もっともなことである。
ただし、「目的」にはいくつか種類がある。
ある行為では、活動することそのものが目的になる。
一方で、活動の結果として何か別のものを生み出すことが目的になる場合もある。
そして、活動とは別に完成した成果物がある場合には、普通、その成果物のほうが、そこに至る活動よりも目的として重要になる。
たとえば、世の中にはさまざまな技術、行為、学問があるので、それぞれが目指す目的も異なる。
医学が目指すのは「健康」であり、
造船技術が目指すのは「船」であり、
戦略が目指すのは「勝利」であり、
財産を管理する技術が目指すのは「富」である。
また、いくつかの技術が、さらに上位の技術のもとに置かれていることもある。
たとえば、馬のくつわを作る技術や、馬具を作るさまざまな技術は、すべて「乗馬」という目的のためにある。
そして乗馬を含む軍事に関するさまざまな活動は、さらに上位にある「戦略」のために行われる。
これと同じように、ほかの技術にも、それをまとめる上位の技術がある。
このような場合、下位の技術が目指す目的よりも、上位の技術が目指す目的のほうが重要である。
なぜなら、下位の技術は、最終的には上位の目的を実現するために行われているからだ。
なお、ある行為では活動そのものが目的になり、別の行為では活動によって生まれる成果が目的になるが、ここでの議論にとって、その違いは本質的な問題ではない。
深掘り解説
この一節でアリストテレスが最初に言っているのは、かなりシンプルです。
「人間は、何をするときにも、“何か良いもの”を求めて行動している」
ということです。
たとえば、
仕事をするのは、お金を得たいからかもしれない。
運動をするのは、健康になりたいからかもしれない。
勉強するのは、知識を得たいからかもしれない。
友人に会うのは、楽しさや友情を求めているからかもしれない。
行動そのものがバラバラに見えても、その背後には必ず、
「こうなったほうが良い」
という目的がある。
ここでの「善(good)」は、必ずしも「道徳的に善い」という意味ではありません。
もっと広く、
「その人が価値のあるものとして求めているもの」
くらいに考えると分かりやすいです。
そしてアリストテレスは次に、
目的には階層がある
と考えます。
これが、この一節でかなり重要なところです。
たとえば、馬具職人が「良いくつわ」を作るとします。
しかし、くつわを作ること自体が最終目的ではありません。
くつわは馬に乗るために作られます。
さらに、古代ギリシャの軍事を考えれば、馬に乗る技術も戦争で役立つために使われます。
そして軍事活動全体は「戦争に勝つ」という戦略上の目的に従っています。
つまり、
くつわを作る
→ 馬に乗る
→ 軍事活動をする
→ 勝利する
というように、目的が入れ子になっているわけです。
下の目的は、さらに上の目的のために存在しています。
だからアリストテレスは、
上位の目的のほうが、下位の目的より重要である
と考えます。
これは現代の日常にもそのまま当てはめられます。
たとえば、
「英語を勉強する」
という行動があったとします。
でも、英語を勉強すること自体が最終目的とは限りません。
英語を覚える
→ 海外の本を読める
→ より多くの知識を得る
→ よりよく仕事や人生を築く
というように、さらに上の目的が存在するかもしれません。
つまりアリストテレスがここでやろうとしているのは、
「あなたが今やっていることは、何のためなのか?」
という問いを、どんどん上へさかのぼっていくことです。
そして、ここから『ニコマコス倫理学』最大の問いにつながります。
仮に、
AはBのため、
BはCのため、
CはDのため、
と目的をさかのぼっていったとします。
では、
一番最後には何があるのか?
という問題が出てきます。
もし、
お金は何かのため、
健康も何かのため、
仕事も何かのため、
知識も何かのため、
なのだとしたら、
そのすべての先にある、
「それ自体のために求めるもの」
が存在するのではないか。
アリストテレスはこの後、その最上位の目的を探していきます。
そして最終的に、
それは「幸福(エウダイモニア)」ではないか
という方向へ議論を進めます。
ここでいう幸福は、単に「楽しい」「気分がいい」という意味ではありません。
もっと大きく、
「人間として、よく生きること」
「自分の能力を十分に発揮しながら、人生全体を良いものにすること」
という意味です。
もう一つ面白いのが、
「活動そのものが目的の場合」と「成果物が目的の場合」
を区別しているところです。
たとえば造船なら、
船を作る活動
→ 完成した船
なので、活動とは別に成果物があります。
一方で、
音楽を楽しむ
考える
友人と語り合う
などは、活動そのものに価値がある場合があります。
必ずしも、その後に何か「完成品」が残るわけではありません。
この違いは、後のアリストテレスの幸福論でも重要になってきます。
なぜなら彼は最終的に、
幸福とは、何かを所有することだけではなく、「どう生き、どう活動しているか」という生き方そのものに関わる
と考えるからです。
この一節の核心を一言でまとめるなら、
「人間の行動にはすべて目的があり、その目的には上下関係がある。だから人生を理解するには、最終的に何を目的として生きているのかを考えなければならない」
ということです。
『ニコマコス倫理学』は、いきなり「幸福とは何か」を語り始めるのではなく、まず**「そもそも人間は目的に向かって行動する存在だ」**というところから、非常に論理的に幸福論を組み立て始めているわけです。