一時間一時間を大切にして、今、自分の目の前にあることに集中しなさい。
ローマ人として、そして一人の人間としてふさわしい勇気を持って、やるべきことをきちんとやりなさい。
そのときは、誠実に、気取らない威厳を持ち、人への自然な思いやりを忘れず、自由で、公正でありなさい。
そして、それ以外の余計な考えから、自分の心を解放しなさい。
一つひとつの行動を、
「これが人生で最後にすることかもしれない」
という気持ちで行えば、それはできる。
目的もなくあちこちに気を取られたり、
自分を導く理性にわざと背いたり、
人に見せるためのふるまいをしたり、
自分の利益ばかりを考えたり、
今、自分に与えられている状況に不満を抱いたりするのをやめなさい。
穏やかに、そして正しく生きるために、人間が身につけなければならないことは、実はそれほど多くない。
このわずかな教えを守って生きる人に、神々もそれ以上のことを求めはしないだろう。
この一節の核心
人生全体をうまく生きようとする必要はない。今、目の前にある一つのことを、正しく丁寧にやればいい。
未来のことを考えすぎたり、あれもこれもと手を広げたりする必要はありません。
今やっていることを、誠実に、公正に、余計な欲や見栄に振り回されずに行う。
人生は、その「今」の積み重ねでできている。
これが、この一節の核心です。
深掘り解説
「人生をどう生きるか」ではなく「この一時間をどう生きるか」
冒頭の、
Each hour be minded
という言葉は、とても重要です。
マルクス・アウレリウスは、
「これからの人生を完璧に生きろ」
とは言っていません。
もっと小さく考えています。
この一時間。
今この瞬間。
目の前にある仕事。
そこに意識を向けなさい、と言っています。
私たちは人生について考えると、すぐに話を大きくしてしまいます。
「これからどう生きよう。」
「10年後どうなっているだろう。」
「もっと成功しなければ。」
そうすると、急に難しく感じます。
でも、
「じゃあ、今やるべきことは何?」
まで小さくすると、意外と答えは単純です。
メールを一通返す。
目の前の人の話をきちんと聞く。
今日やると決めた仕事を終わらせる。
食事をする。
眠る。
マルクスが言っているのは、
人生という巨大な問題を一度に解こうとするな。今、自分に与えられていることをやれ。
ということなのです。
「ローマ人として、一人の人間として」
マルクス・アウレリウスは、
valiantly as becomes a Roman and a man
と言っています。
彼はローマ皇帝でした。
だからこれは、自分自身に、
「自分の立場にふさわしく生きろ」
と言い聞かせている言葉でもあります。
ただし、重要なのは「皇帝として」ではなく、
「一人の人間として」
とも言っていることです。
立場や肩書き以前に、
人間として正しく振る舞う。
勇気を持つ。
誠実である。
公平である。
人に思いやりを持つ。
こうした基本的なことの方が大切なのです。
現代なら、
「社長だから」
「親だから」
「先生だから」
以前に、
「一人の人間として、この行動はどうなのか。」
と考えることに近いでしょう。
一つひとつの行動を「最後の行動」のようにする
この一節で、とても有名な考え方が出てきます。
each act as though it were your last
つまり、
「一つひとつの行動を、それが人生最後の行動であるかのように行え。」
ということです。
これは、
「もうすぐ死ぬと思って緊張しながら生きろ」
という意味ではありません。
むしろ、
どうでもいいことに人生を使うな
という意味です。
もし今日が人生最後の日だったら、
くだらない見栄のために誰かと争うでしょうか。
SNSで誰かと比較して、一日中落ち込むでしょうか。
どうでもいいことで腹を立て続けるでしょうか。
おそらく、多くのことが急に重要ではなくなります。
逆に、
目の前の人にきちんと向き合う。
自分の仕事を丁寧にする。
ありがとうと言う。
そういったことの方が大切に見えてきます。
死を意識することによって、
何が本当に重要なのかを選び直す。
これは『自省録』で何度も出てくる考え方です。
「最後だと思ってやる」は、全力疾走しろという意味ではない
ここは誤解しやすいところです。
「最後のつもりでやれ」
と言われると、
「何でも120%で頑張らなければ」
と考えてしまうかもしれません。
でも、この文章でマルクスが言っているのは、
激しくやれ
ではなく、
余計なものを混ぜずにやれ
です。
続く部分を見ると、それが分かります。
彼が捨てろと言っているのは、
- 目的もなく気を散らすこと
- 理性に背くこと
- 見せかけ
- 自分の利益への執着
- 現状への不満
です。
つまり、
目の前の仕事そのものに、余計な欲や感情をくっつけない。
ということです。
仕事なら仕事をする。
人と話すなら、その人と話す。
休むなら休む。
それだけでいい。
「余計な目的」を持たない
原文には、
freed from every random aim
とあります。
私たちは何かをするとき、本来の目的とは別の目的をたくさん持ち込みます。
例えば、人に親切にする。
本来なら、
「その人の役に立ちたい。」
それだけでいいはずです。
ところが、
「感謝されたい。」
「良い人だと思われたい。」
「あとで自分にも何か返してほしい。」
という目的が混ざってきます。
すると、相手から感謝されなかったときに、
「せっかくやってあげたのに。」
となります。
マルクスが求めているのは、
行動そのものを純粋にすること
です。
正しいと思うからやる。
それで終わり。
相手の反応まで支配しようとしない。
「見せかけ」を捨てる
ここには、
pretence
という言葉もあります。
つまり、
人に見せるための自分を作るな
ということです。
本当は怒っているのに、立派な人間に見られたいから優しくする。
誰かに褒めてもらいたくて善いことをする。
賢く見られるために知識を語る。
こういう行動には、
「正しく生きること」より、
「正しく生きているように見られること」
が入り込んでいます。
ストア哲学が求めるのは後者ではありません。
誰も見ていなくても同じように行動できるか。
そこが重要なのです。
「自分を愛するな」ではなく「自分だけを特別扱いするな」
原文には、
self-love
とあります。
これを現代の「自己肯定感」と同じように考えると誤解します。
マルクスが問題にしているのは、
自分を大切にすることではありません。
自分の欲や利益を特別扱いすること
です。
自分だけ得をしたい。
自分だけ傷つきたくない。
自分だけ評価されたい。
そういう思いが強くなると、公正な判断ができなくなります。
だからこの一節では、
「natural love」と「justice」
――自然な人への愛情と、公正さ――
が並べられています。
自分も大切。
相手も大切。
そのうえで、公平に判断する。
それが理性的な生き方です。
「今の状況が気に入らない」を人生の中心にしない
そしてまた、
displeasure with what is allotted to you
が出てきます。
つまり、
今、自分に与えられている状況への不満
です。
「なぜ自分だけ。」
「もっとこうだったら。」
「本当ならこんなはずじゃなかった。」
そう思うことはあります。
でも、どれだけ不満を言っても、
すでに与えられている今この瞬間は変わりません。
だからマルクスは、
今を好きになれ
と言っているのではなく、
「今が気に入らない」という感情に、今やるべきことまで邪魔させるな。
と言っているのです。
これはかなり実用的な考え方です。
状況が理想的になるのを待ってから行動するのではなく、
今ある条件の中で、正しくできることをやる。
実は、良く生きるために覚えることはそれほど多くない
最後にマルクスは、面白いことを言います。
You see how few things a man need master
良く生きるために身につけるべきことは、
実はそんなに多くない。
膨大な哲学の知識が必要なわけでもない。
特別な秘訣が何百個も必要なわけでもない。
この一節だけでも、
今に集中する。
正直に行動する。
人を思いやる。
公正である。
欲や見栄に振り回されない。
与えられた現実に無駄な抵抗をしない。
これだけです。
問題は、
知らないことではなく、知っていることを毎回実行できないこと
なのかもしれません。
この一節は「今日をちゃんと生きればいい」という話
人生全体を考えると、途方もなく感じます。
正しく生きる。
立派な人間になる。
幸せになる。
人生を後悔しない。
どれも大きすぎるテーマです。
でもマルクス・アウレリウスは、それを一時間、一つの行動まで小さくします。
今、自分の目の前にあることを、正しくやる。
それだけ。
そして、それが終わったら次のことを、また正しくやる。
それを繰り返していけば、結果として人生全体も整っていく。
だから、この一節をものすごくシンプルに言えば、
「人生を立派に生きようとするな。今やっていることを、立派にやれ。」
という教えなのだと思います。