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自省録 第2巻 2

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この「自分」という存在が何であれ、結局のところ、**「肉体」と「生命を支える息」と「自分を導く理性」**の三つからできている。

まず、肉体について考えてみよう。

肉体とは、血と骨、それに神経や静脈、動脈が複雑に絡み合ってできたものにすぎない。

だから、肉体そのものに必要以上の価値を置く必要はない。

次に、生命を支えている息について考えてみよう。

それも結局は、流れ込んでは出ていく空気にすぎない。

しかも、ずっと同じ空気がそこにあるわけではない。

絶えず吐き出され、また新しい空気が吸い込まれている。

そして三つ目が、自分を導く理性である。

もう本ばかり読んでいるのはやめなさい。

これ以上、あれこれと気を散らしている場合ではない。

今の自分に必要なのは、さらに知識を集めることではない。

むしろ、もうすぐ死ぬ人間であるかのように、自分自身にこう言い聞かせなさい。

「お前はもう十分な年齢になった。

これ以上、自分を導くはずの理性を奴隷のままにしてはいけない。

利己的な欲望に糸を引かれる人形のように、振り回されてはいけない。

今、自分に与えられているものに腹を立ててはいけない。

そして、これから先に何が与えられるのかを疑い、不安に思い続けてもいけない。」

自分の理性を、自分自身の主人に戻しなさい。


目次

この一節の核心

欲望や不満、不安に自分を支配させず、自分の理性で自分自身を導きなさい。

肉体も、呼吸も、絶えず変化し、いつか失われます。

だからこそ、生きている間に本当に大切なのは、外からやってくるものに振り回されず、自分を導く力を自分の手に取り戻すことです。

もっと知識を増やすことより、すでに知っていることを実際の生き方に変える。

それが、この一節でマルクス・アウレリウスが自分に求めていることです。


深掘り解説

人間は「肉体・息・自分を導く理性」からできている

マルクス・アウレリウスは、自分という存在を三つに分けて考えています。

  • 肉体
  • 生命を支える息
  • 自分を導く理性

そして、この三つを順番に冷静に見つめています。

まず肉体。

私たちは普段、体を「自分そのもの」のように感じています。

見た目。

若さ。

健康。

体力。

こうしたものが自分の価値と深く結びついているように感じます。

しかしマルクスは、あえて肉体を細かく分解して見ます。

血。

骨。

神経。

血管。

そうやって考えることで、

肉体に対する過剰な執着を弱めようとしている

のです。


「肉体を軽蔑せよ」は、体を粗末にしろという意味ではない

英訳では、

Disdain the flesh.

と、かなり強い表現になっています。

直訳すれば、

「肉体を軽く見なさい」
「肉体を重要視しすぎるな」

という感じです。

これは、

「健康なんてどうでもいい。」
「体を粗末に扱え。」

という意味ではありません。

マルクスが戒めているのは、肉体を自分の価値そのものだと思うことです。

若さは失われます。

容姿も変わります。

健康も完全には自分でコントロールできません。

それなのに、そこへ自分の価値を全部預けてしまえば、変化するたびに心まで揺さぶられてしまいます。

だから、

体は自分の一部ではある。しかし、それが自分のすべてではない。

そう距離を取って見ているのです。


呼吸さえも、ずっと同じものではない

次にマルクスは、生命そのものの象徴である「息」を見ます。

息は、一見すると自分の中にある「生命」のように感じます。

でも実際には、

吸って、

吐いて、

また吸って、

また吐く。

常に入れ替わっています。

つまり、

自分の生命さえも、何か固定されたものではなく、絶えず変化している。

ということです。

ここでもマルクスは、

「自分」という存在を必要以上に絶対視しないようにしています。

肉体も変わる。

呼吸も変わる。

自分は、世界から切り離された固定された存在ではなく、常に変化し続けている存在なのです。


一番大切なのは「governing self」

この一節で中心となるのが、

the governing self

です。

日本語では「指導理性」「統御する自己」などと訳されます。

簡単に言えば、

自分の中で、何を考え、どう行動するかを決める部分

です。

単なる頭の良さではありません。

欲望が出てきたときに、

「本当にそれをするべきか。」

と考える。

腹が立ったときに、

「この怒りのまま行動してよいのか。」

と考える。

不安になったときに、

「今、自分にできることは何か。」

と考える。

こうして自分自身を導く力が、ここでいう「governing self」です。


「理性を奴隷にするな」

マルクスは、自分自身にかなり厳しい言葉を投げかけています。

「これ以上、自分を導く部分を奴隷の状態にしておくな。」

では、何の奴隷になっているのでしょうか。

続く文章に答えがあります。

利己的な衝動です。

「あれが欲しい。」

「自分だけ得したい。」

「腹が立ったから言い返したい。」

「認められたい。」

こうした衝動にそのまま従っている状態を、マルクスは、

人形が糸で操られているようなもの

と表現しています。

自分で生きているつもりでも、実際には欲望に動かされている。

それでは本当に自由とは言えません。


本当の自由とは「好き勝手にすること」ではない

現代では、

自由=自分の好きなことをすること

と考えがちです。

でもストア哲学では、かなり逆です。

「欲しい」と思ったらすぐ買う。

腹が立ったらすぐ怒る。

不安になったら一日中そのことを考える。

これは一見自由そうですが、マルクスから見れば、

欲望や感情に支配されている状態

です。

本当に自由なのは、

欲望が湧いても選べる。

怒りが湧いても選べる。

不安が湧いても、それにどう向き合うかを選べる。

つまり、

感情がない人ではなく、感情に操られない人。

これが、ストア哲学の考える自由に近いのです。


「今あるものへの怒り」と「未来への疑い」

最後に、マルクスは二つのものを戒めています。

一つは、

現在への不満。

「どうして自分にはこんな状況が与えられたんだ。」

「あの人ばかり得をしている。」

「こんなはずじゃなかった。」

という気持ちです。

もう一つは、

未来への不安。

「この先どうなるんだろう。」

「失敗したらどうしよう。」

「悪いことが起きるんじゃないか。」

という気持ちです。

つまり私たちは、

過ぎていない未来を心配しながら、

すでに存在している現在には不満を言う。

その結果、

今この瞬間をまともに生きられなくなる

ことがあります。

マルクスは、それをやめろと言っているのです。


「本を捨てろ」の本当の意味

この一節にも、また本についての言葉が出てきます。

「本をしまいなさい。もう気を散らすな。」

もちろん、読書そのものを否定しているわけではありません。

むしろマルクス・アウレリウス自身、哲学を深く学んだ人です。

問題なのは、

学ぶことが、実践から逃げる手段になってしまうこと

です。

もっと読んでから。

もっと理解してから。

もっと知識を集めてから。

そう言い続けているうちに、人生そのものが終わってしまう。

だから、

「もう十分知っている。今度はそれを生きろ。」

と自分に言い聞かせています。

これは現代にもかなり当てはまります。

本を読む。

動画を見る。

講座を受ける。

情報を集める。

それ自体は役に立ちます。

でも、本当に重要なのは、

それによって自分の行動が一つでも変わったか

です。


この一節は「自分の主人になれ」という話

この一節全体をまとめると、

マルクス・アウレリウスは自分自身に、

「そろそろ自分の主人になれ。」

と言っているのだと思います。

肉体に振り回されない。

欲望に振り回されない。

今の状況への不満に振り回されない。

未来への不安に振り回されない。

そして、知識を集めることだけにも逃げ込まない。

その代わり、

自分を導く理性を中心に置いて生きる。

それこそが、限られた人生を自分自身のものとして生きることなのです。

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