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自省録 第2巻 7

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外から入ってくる出来事に気を取られ、心が乱されているのなら、いったん静かな時間を取りなさい。

そして、その時間を使って、自分にとって本当に善いことを一つでも学び、進むべき道から外れてあちこちさまようのをやめなさい。

ただし、それができたとしても、もう一つの「さまよい」には気をつけなければならない。

それは、人生そのものに向かうべき目的を持たないことだ。

自分の一つひとつの欲求や行動を、どこへ向けるのか。

自分の考えや意識を、何を基準に導いていくのか。

そうした明確な目標を持たずに生きている人は、言葉だけではなく、行動においても人生を無駄にしている。


目次

この一節の核心

目の前の雑音に振り回されないだけでは足りない。自分が人生をどこへ向けるのかも決めておかなければならない。

集中力を取り戻すことは大切です。

でも、いくら集中できても、そもそも「何のために生きるのか」「どんな人間として生きるのか」が決まっていなければ、別の意味でさまよい続けることになります。

余計なものから離れることと、進む方向を持つこと。

この両方が必要だと、マルクス・アウレリウスは言っています。


深掘り解説

まずは「外から入ってくるもの」に振り回されない

冒頭では、

Do things from outside break in to distract you?

と問いかけています。

現代なら、かなり身近な話です。

スマホの通知。

SNS。

ニュース。

他人からの連絡。

仕事のトラブル。

誰かの一言。

予定外の出来事。

私たちの意識には、一日中いろいろなものが外から飛び込んできます。

そして気づけば、

「本当は何をしようとしていたんだっけ?」

という状態になります。

マルクスは、そうなったら無理に走り続けるのではなく、

一度、静かな時間を取れ

と言っています。

外の世界をすべてコントロールすることはできません。

でも、いったんそこから距離を置いて、自分の心を整えることはできます。


静かな時間は「何もしない時間」ではない

面白いのは、

「静かに休みなさい」

だけでは終わっていないことです。

Give yourself a time of quiet to learn some new good thing.

静かな時間を使って、

何か新しい「善いこと」を学びなさい

と言っています。

ここでいう「善いこと」は、単に新しい知識を増やすという意味ではないでしょう。

これまでの『自省録』でも何度も出てきたように、

どう生きるべきか。

何を大切にするべきか。

何が自分の力の及ぶことで、何が及ばないのか。

そうした、自分を正しい方向へ戻してくれる知恵です。

つまり、

外の雑音から一度離れる。

↓

自分の考え方を整える。

↓

もう一度、自分の道へ戻る。

という流れです。


ところが「集中できればOK」ではない

ここからが、この一節の面白いところです。

マルクスは、

be on your guard against a second kind of wandering

と言います。

つまり、

「もう一種類のさまよいにも注意しろ。」

ということです。

一つ目のさまよいは分かりやすい。

外の出来事に気を取られて、注意があちこちへ飛ぶことです。

でも二つ目はもっと深い。

それは、

人生そのものに方向がないこと。

です。


「忙しい人」と「目的を持っている人」は違う

例えば、

朝から晩まで仕事をしている。

毎日SNSを更新している。

いろいろな人に会っている。

勉強もしている。

ものすごく忙しい。

一見すると、

「人生を一生懸命生きている人」

に見えます。

でもマルクスなら、おそらくこう問いかけます。

「それは、どこへ向かっているのか?」

です。

忙しいことと、方向があることは別です。

ものすごい速さで走っていても、行き先が決まっていなければ、ただ速く迷っているだけかもしれません。

だから、

「何をしているか」だけでなく、「何のためにしているか」

が必要なのです。


マルクスのいう「目的」とは、成功目標ではない

ここも重要です。

「人生の目標」と聞くと、

年収○○万円。

会社を大きくする。

家を買う。

有名になる。

というような目標を思い浮かべるかもしれません。

でもストア哲学でいう目的は、それとは少し違います。

もっと根本的な、

「私は、どんな人間として生きるのか。」

という方向性です。

誠実に生きる。

公正に生きる。

理性に従う。

勇気を持つ。

人と協力する。

自分でコントロールできないものに振り回されない。

こうしたものが人生全体の「目印」になります。

そこが決まっていれば、

「この仕事をするべきか。」

「この人にどう接するべきか。」

「ここで怒るべきか。」

といった日々の細かな判断にも、一本の基準ができます。


「すべての衝動をどこへ向けるか」

原文には、

no mark on which they direct every impulse

とあります。

ここでいう「mark」は、

狙うべき的、目標

のようなものです。

弓を射る場面を想像すると分かりやすいです。

矢を持っている。

弓もある。

力もある。

でも的がない。

それでは、どれだけ上手に矢を放っても意味がありません。

私たちの欲求や行動も同じです。

「あれが欲しい。」

「これをやりたい。」

「あの人に認められたい。」

「もっと成功したい。」

こうした衝動は次々に生まれます。

でも、そのすべてを、

「自分はどんな人間として生きたいのか」

という的に向けていなければ、欲求に引っ張られてあちこちへ進むだけになってしまいます。


「考え」にも方向が必要

さらにマルクスは、

every imagination

とも言っています。

行動だけではありません。

自分の頭の中で何を考えているか

にも方向が必要だと言っています。

私たちは何もしていないときでも、頭の中ではかなり動いています。

過去の失敗を思い出す。

まだ起きていない未来を心配する。

他人と自分を比較する。

誰かの言葉を何度も思い返す。

こうした思考も、放っておけばどこまでもさまよいます。

だからストア哲学では、

「今、この思考は自分をどこへ連れていこうとしているのか。」

と、自分の思考そのものを見ることを重視します。

考えているだけだから害はない、とは考えないのです。

考え方が、やがて行動を作るからです。


なぜ「目的のない人」をここまで厳しく言うのか

最後にマルクスは、かなり厳しい評価をします。

人生の方向を持たない人は、

言葉だけでなく、行動においても人生を浪費している。

という趣旨です。

これは、

「大きな夢を持たない人はダメだ。」

という話ではありません。

むしろ逆です。

ものすごい成功目標などなくてもいい。

ただ、

自分が何を善いと考えているのか

くらいは決めておかなければならない。

そうしなければ、

その日の気分。

周囲の評価。

欲望。

世間の流行。

そういうものが、その都度、自分の進む方向を決めることになります。

昨日はこちら。

今日はあちら。

明日はまた別の方向。

それこそが「さまよう」ということなのです。


この一節には「二種類の迷子」が出てくる

この文章を整理すると、とても分かりやすくなります。

一つ目は、

注意の迷子。

外から入ってくる情報や出来事に気を取られ、今やるべきことを見失う。

そして二つ目は、

人生の迷子。

目の前のことには集中しているけれど、そもそも自分が何を大切にして生きるのかが決まっていない。

前者には、

静かな時間を取って、自分を取り戻すこと。

後者には、

人生を導く基準を持つこと。

が必要です。


この一節は「集中する前に、方向を決めろ」という話

集中力は大切です。

でも、集中する対象を間違えていたら意味がありません。

努力も同じです。

努力すること自体が正しいわけではありません。

どこへ向かって努力しているのかが重要です。

だから、この一節を現代的にまとめるなら、

「雑音を消せ。そして、自分がどこへ向かうのかを忘れるな。」

という教えなのだと思います。

そしてもっと短く言えば、

「集中力より先に、方向を持て。」

とも言えるでしょう。

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