私がこの本で目指しているのは、形而上学には学ぶ価値があると考えているすべての人に、まず一度立ち止まってもらうことです。
そして、これまで形而上学について積み重ねられてきた議論はいったん脇に置き、その前に、もっと根本的な問いを立ててほしいのです。
それは、
「そもそも、形而上学というものは本当に可能なのか?」
という問いです。
深掘り解説
この一節は、『プロレゴーメナ』全体の目的をかなりはっきり言い表しています。
カントが言っているのは、
「形而上学について考える前に、形而上学そのものが成立できるのかを調べよう」
ということです。
これは一見すると当たり前のようですが、実はかなり大胆な発想です。
まず「議論を続ける」のをやめろ、と言っている
カント以前にも、形而上学では長いあいだ、
「神は存在するのか」
「魂は不滅なのか」
「世界には始まりがあるのか」
「人間には自由意志があるのか」
といった問題が議論されてきました。
ところが、何百年議論しても決着しない。
ある哲学者が「こうだ」と論証すると、別の哲学者が「いや、逆だ」と反論する。
それでも人々は、
「では、もっと精密に議論しよう」
「過去の哲学者の議論をもう一度検討しよう」
と続けてきました。
カントはここで、
「ちょっと待て。そもそも、その議論自体が成立するのかを先に確認するべきではないか」
と言っています。
たとえるなら、「地図を描く前に、その土地へ行けるのかを確認する」
形而上学を未知の大陸の研究だと考えてみると、わかりやすいです。
これまでの哲学者たちは、
「この大陸には山があるはずだ」
「いや、海がある」
「ここには都市がある」
と議論してきた。
カントはそこで、
「その前に、人間はそもそもその大陸へ行けるのか?」
と問い直します。
もし人間の認識能力では、そこへ到達すること自体ができないのなら、
その土地について何百年議論しても意味がありません。
だからまず調べるべきなのは、
対象そのものではなく、それを知ろうとしている人間の認識能力
だというわけです。
これがカント哲学の重要な転換です。
「これまでやってきたことはいったん無視しよう」
原文には、
neglecting all that has been done
とあります。
これはかなり強い言い方です。
もちろん、
「過去の哲学を全部捨てろ」
という意味ではありません。
カントが言いたいのは、
過去の形而上学が積み上げてきた結論を、最初から正しい前提として使ってはいけない
ということです。
たとえば、
「神について昔からこう論じられてきた」
「魂についてデカルトはこう言った」
といった議論を続ける前に、
もっと根本から、
「そもそも人間の理性には、神や魂について確実な知識を得る能力があるのか?」
を調べなければならない。
カントは議論の階層を一段上げているわけです。
「形而上学は可能か?」とはどういう意味か
ここは特に重要です。
カントは、
「形而上学という話題について考えることは可能か?」
と聞いているわけではありません。
人間は実際に何千年も考えてきたので、それは可能です。
問題は、
「形而上学は、確実な知識を生み出す“学問”として成立できるのか?」
ということです。
数学なら、
2+2=4
ということについて、ある程度普遍的な合意ができます。
自然科学でも、実験や観察によって知識を確かめることができます。
ところが形而上学では、
神、魂、自由、世界全体といったものを扱います。
これらは普通の経験によって直接確認することができません。
そこでカントは、
「経験を超えたものについて、人間は本当に知識を持てるのか?」
という問題に突き当たります。
これこそ『プロレゴーメナ』の中心問題です。
カントは形而上学を壊したいわけではない
ここは誤解しやすいところです。
カントは、
「形而上学なんて無意味だからやめよう」
と言っているわけではありません。
むしろ逆です。
形而上学には重要な問題がある。
だからこそ、
いい加減な形のまま続けるのではなく、本当に学問として成立する条件を明らかにしよう
としている。
つまりカントの態度は、形而上学への攻撃というより、
形而上学を救うための徹底検査
に近いです。
これは「答え」より先に「問いの資格」を調べる哲学
普通は、
「神はいるのか?」
と問います。
カントはその前に、
「人間には、その問いに答える能力があるのか?」
と問います。
普通は、
「世界には始まりがあるのか?」
と考えます。
カントはその前に、
「人間の理性は、世界全体について知ることができるのか?」
と考えます。
ここがカントのすごく特徴的なところです。
問題にすぐ答えようとしない。
まず、
その問題に答えること自体が可能なのかを検査する。
この姿勢が『純粋理性批判』にもつながっていきます。
「批判」という言葉も、単に否定するという意味ではなく、
理性には何ができて、何ができないのか、その能力と限界を吟味する
という意味です。
この一節の核心
この一節を一言でまとめるなら、
「形而上学の答えを探す前に、形而上学という学問そのものが可能なのかを調べなければならない」
ということです。
カントは、長年続いてきた議論にそのまま参加するのではなく、
議論の土台そのものを疑いました。
「神は存在するか?」
より前に、
「人間は神について知ることができるのか?」
「魂は不滅か?」
より前に、
「人間の理性は魂について確実な知識を持てるのか?」
と問い直した。
つまりカントは、
答えを変えようとしたというより、問いの立て方そのものを変えた
のです。
ここを掴んでおくと、『プロレゴーメナ』が何をしようとしている本なのか、かなり見通しがよくなります。